自己紹介をさせていただきます。
私は昭和26年東京都三鷹市で生まれました。
父が、東京大学の理学部の研究施設、東京天文台(現在は独立行政法人国立天文台)に電気通信技術の教官として勤務していたので、その構内の官舎で育ちました。
庭に野生のキジが舞い降りてくるような自然に恵まれた環境で、子供の頃は泥んこになって野球をしたり、倉庫の屋根から飛び降りたり、蝉やカブトムシを捕ったりしていました。
私が「癌」という病気を最初に意識したのは、中学の時で、仲の良かった同級生が突然入院し、
片足を膝の上から切断しなければならないと聞いた時でした。
その友人の病名は「骨肉腫」。
彼は勉強もでき、バスケット部のキャプテンを務め、とても明るくて誰からも好かれていました。
そんな彼が、片足を失くしてしまうなんて。
まだ中学2年なのに将来どうなるんだろうと気の毒でしかたありませんでした。
でも生来明るい性格だった彼は、半年後には義足を付け、笑顔で通学してきたのでなにか私の方が救われたような気がしていました。
高校は別の高校に進学したのですが、確か高校2年の頃に、その彼が亡くなったと聞き、なぜあんないい奴が死ななければいけないんだと、「癌」が憎くてしかたありませんでした。
その次は、従姉が「癌」に侵されました。
その従姉は、成田あつ子といって、文化放送の人気アナウンサーでした。
当時はラジオの深夜放送が学生や若者の間で人気で、彼女が担当していたのは、「東京ミッドナイト」「走れ歌謡曲」という深夜1時と3時から放送される番組でした。
同期入社の土居まさる氏が別の曜日を担当し、TBSではみのもんた氏がパーソナリティを務めていた時代です。
ニッポン放送のオールナイトニッポンも人気でした。
その従姉が33歳の若さでこの世を去ってしまったのです。
28歳で乳癌になり、それが脳に転移して脳腫瘍ということでした。
国立がんセンターに入院していたときに、彼女が一人娘に宛てて日記を書いていたのですが、
その日記が「チーちゃんごめんね」というタイトルで出版され、秋吉久美子さん主演で映画化もされたので、覚えていらっしゃる方もおられるかもしれませんね。
下の写真が、従姉の本です。(左は、従姉がパーソナリティを務めていた「走れ歌謡曲」に寄せられたリスナーからの手紙をメインにした本です。)
その次が母でした。
私の母は、リンパ節転移のある、かなり進行した乳癌でしたが(医者からは1年以内の再発を言われていました)放射線や抗癌剤を使わずに免疫療法のみで18年間元気に過ごしました。
そのころは、私も若く、「癌」の知識もあまりなかったので、ただ「癌」は恐ろしい病気だと思っていました。そして、母が同じ乳癌と診断されたときには、非常にショックをうけましたが、同時になんとか助ける方法はないものかと、良い治療法を探しまわったものです。
その結果選んだ治療法が母を救ったのです。
その他にも、わたしの大切な人たちが、次々と癌に冒されたのですが、そのとき情報の大切さを痛感しました。適切に有効な治療法を選択すれば、必ず癌は克服できると思います。
30年以上の私の経験と、現在までの最新情報のすべてをまとめたのが、「癌と闘うために」です。
何十冊もの本や雑誌、テレビ、インターネットなどの他、独自ルートで集めた情報を整理して、末期癌でも完全に癌が消失した治療法などを掲載しました。
末期癌が完全に消滅するというのは、奇跡でもなんでもありません。
科学・生物学的に説明のつく、理にかなった理由があるからです。
あなたの大切な人、あるいはあなた自身が「癌」という病気で悩んでいるのでしたら、きっとお役に立つと思います。
それから、もうひとつ大事なことがあります。 それは、どんな場合でも、決してあきらめないこと、必ず癌に勝つという強い気持ちを持って癌と闘うことです。
|